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79件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1985-12-11 第103回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第3号

我々は、これは非常に残念だと思っておりますし、その都度日米安保委員会等で米軍の責任に帰するものは強く抗議もしておりますし、米軍自身もこれらの犯人に対しては厳しい処分をしておる、また米軍日本の要請にこたえて犯罪防止のためのいろいろの努力をいたしておることも事実でありますが、しかし、いろいろと問題が起こってきている。

安倍晋太郎

1984-03-28 第101回国会 参議院 予算委員会 第13号

そこで本当に沖縄問題を真剣に取り上げてくださるならば、そこへ持ち込んで討議されるべきでありますが、日米安保委員会協議委員会ももう空洞化している、こういうことを私は強く指摘したいのです。そのことから沖縄にしわ寄せが次々と降りかかってきておるということなんです。  それでは、米陸軍特殊部隊、いわゆるグリーンベレーの再配備についてまた外務大臣に。聞きます。

喜屋武眞榮

1972-10-17 第69回国会 参議院 内閣委員会 閉会後第5号

それから、アメリカ軍の戦車をアメリカ軍が運ぶ場合にも、日米安保委員会の中に特別分科会をつくって、そこで日本政府の当局も出て、そうしてちゃんとけじめをつけて、道路とか橋とか、あるいは地下埋設物とか、よく検討して、そうして通る場所をちゃんときめて、そこでまた関係道路管理者にもお話をして通すというふうに、ちゃんとその歯どめはあるんですよ。

二階堂進

1971-03-18 第65回国会 衆議院 科学技術振興対策特別委員会 第7号

山原委員 次に、この賠償問題に対して、特に米国の原子力潜水艦が事故を起こした場合にその賠償はどうなるのかという問題から端を発しておるわけでありますけれども、この問題について三つの、一つ口上書一つ日米安保委員会における合意書というものとエードメモワールというものがあるわけですけれども、それについてちょっと伺っておきたいのです。  

山原健二郎

1967-05-26 第55回国会 参議院 予算委員会 第20号

政府委員東郷文彦君) この記事の中には、この日米安保委員会下部機構であるかないか、あるいは将来定期的に開くか開かないかというようなことに関する解釈が、あるいは観測、判断が入っておりますが、それらの件につきましては、その下部機構というものではない、あるいは将来定期的に開くという性質のものでもない、こういうことでございます。

東郷文彦

1963-01-26 第43回国会 参議院 本会議 第5号

さきの日米安保委員会におきまして、中共政権に対する評価について日米周に意見の差異があったことや、また、中共がすでに実験用原爆装置を保有していることなどが話されたと伝えられております。これについて、政府事情報告をまず第一に願いたい。  われわれは、中共膨張政策が極東の平和に大きな脅威を与えると考えております。しかし、中共を隔離すれば足りると考えているものではありません。

永末英一

1962-05-31 第40回国会 参議院 外務委員会 閉会後第1号

○羽生三七君 今度のことが起こって日米安保委員会を開くということになると、外務省としては寝ている子供を起こすようなことになるから避けたいということだと思うのですが、子供は寝ているのでなしに、もうはい出しておるのですから、これは問題だと思うのですが、そこで防衛庁のほうは安保委員会開会外務省よりむしろ積極的なようにニュアンスとしては受け取られるのですが、その場合、一体防衛庁日米安保委員会開会を求

羽生三七

1962-04-17 第40回国会 参議院 外務委員会 第13号

加藤シヅエ君 日米箱根会談から科学委員会、それから今度の教育文化会議、みんなこれは新案保体制の裏打ちの会議であるというふうに私たちは見ておるわけでございますが、この日米安保委員会が防衛問題というような一側面を扱う協力機関であれば、この教育文化会議というものも、やはり教育思想面を担当する協力機関というものに結局なるのじゃないかというような見方もあるのでございますけれども、外務大臣はそういう面についてどういうふうにごらんになっていらっしゃるのでございますか

加藤シヅエ

1961-04-25 第38回国会 衆議院 内閣委員会 第30号

その上のクラスに日米安保委員会というのがあったのです。それで、それがそのまま日米協議委員会に移行しているわけなんです。だからここで私たちが比較して論議しなければならないのは、旧安保条約のもとにおけるいわゆる安保委員会と、新安保条約のもとにおける協議委員会なんですよ。この二つの運営の方法というものを私、今比べて申し上げているわけです。

石橋政嗣

1960-06-08 第34回国会 参議院 日米安全保障条約等特別委員会 第3号

しかしながら運営の点においての限度を越えた場合においては、改定の問題もさらに検討しようという意味において、日米安保委員会ができたことも御承知通りであります。以来一年余の時日を経過いたしまして、藤山外相がワシントンをたずね、ダレス国務長官と会いました際に、われわれの多年要望であったところの、また国民的要望であったこの改定問題を、ようやくアメリカとしても取り上げる。

岸信介

1960-05-18 第34回国会 衆議院 日米安全保障条約等特別委員会 第36号

そうして、そうした随時協議をする機関というものについては、日米安保委員会というものを作りまして、そうしてその委員会におきまして話し合いをしていく。しかし、むろんその委員会だけが話し合いをするというわけではなしに、あるいは外交ルートを通じ、あるいはその他においても、両政府間において話し合うことは当然行われるわけであります。一応そういう委員会を作ることにいたしておるわけでございます。

藤山愛一郎

1960-05-11 第34回国会 衆議院 日米安全保障条約等特別委員会 第33号

竹谷委員 そうすると、外務大臣答弁によると、日米安保委員会ができた後においても、第五条の適用については何ら変わりがない。アメリカ軍の必要、管理下あるいはチャーターしたものは、船舶も航空機も自由に日本に入ってこれる、こういうことで別にチェックはされないということでございますが、それでは日米安全保障委員会ができても、大した効果がないということになる。

竹谷源太郎

1960-05-11 第34回国会 衆議院 日米安全保障条約等特別委員会 第33号

藤山国務大臣 日米安保委員会ができまして、たとえば、在日米軍が、岸・アイク共同声明でいわれておりますように撤退の計画を立てる、あるいはその他の変更をするというような場合に、大筋の話はむろんいたしておりますが、しかし、個々飛行機が一々入ってくるというものについてまでの通報関係は、いたしておりません。

藤山愛一郎

1960-05-06 第34回国会 衆議院 日米安全保障条約等特別委員会 第29号

当時共同コミュニケを発表いたしております、そうして、この共同コミュニケに基づきまして、いわゆる日米安保委員会というものが発足いたしました。その際の共同声明あるいは安保委員会設置に関する日米共同発表等によりまして、この事前協議制が採用されたと、当時説明されておるわけです。吉田内閣が言っておることよりも、もっと強くアメリカを拘束するという説明が当時なされております。

石橋政嗣

1960-05-06 第34回国会 衆議院 日米安全保障条約等特別委員会 第29号

日米安保委員会ができましたのは、申すまでもなく、この条約が実施されてから、種々な点についていろいろやはり改善を要する点もあり、そうした意味におきましてだんだん積み重ねられてきたわけでありまして、その積み重ねられた結果というものを、今日条約にまとめて集積しておるわけでありまして、そうした過程における積み上げ工作一つの場合だけとって、それだけがどうだということは、必ずしも当たらない。

藤山愛一郎

1960-03-15 第34回国会 衆議院 日米安全保障条約等特別委員会 第7号

そして帰ってこられて、その声明に基づいて、いわゆる日米安保委員会というものが作られた。そのとき総理は何とおっしゃいましたか。今の条約では、アメリカの軍隊の配備、使用についてはほとんど発言権がない、それをこの安保委員会を作ることによって規制できるのだと、非常に宣伝されたのです。

石橋政嗣

1960-02-19 第34回国会 衆議院 予算委員会 第12号

○赤城国務大臣 日米安保委員会はまだ二回くらいしか開いていないと思います。私の就任前であります。特に秘密というものもないわけでございますけれども、やはりお互いの両方の間の話し合いのものを公開するということはちょっとできかねると思います。それから合同委員会の方は、行政協定の問題などで始終話し合いをしておるわけであります。

赤城宗徳